人材版伊藤レポート・伊藤邦雄氏と考える、 「企業の360度評価」としてのクチコミとの向き合い方

企業の変革を進める鍵は、対話と社員の本音にある

人的資源から人的資本へ。企業の中長期的な成長を促すにあたり、人材に対する考え方が抜本的に変化する中、さまざまな企業が自社の改革を進めようとしている。

過渡期の今、働き方はどのように変わり、そこにはどのような課題があるのか。そして、企業が改革を実現するポイントはどこにあるのか。

OpenWorkに寄せられた情報をもとに働き方の10年間の変化をまとめた「社員クチコミ白書」の発表を記念し、「人材版伊藤レポート」座長の一橋大学 CFO教育研究センター長・伊藤邦雄氏と、オープンワーク代表の大澤陽樹が語った。


「できるところから」では、本質的な改革にはならない

大澤:「社員クチコミ白書」2024年版では10年間の日本の働き方の変化をまとめています。ご覧になって、いかがでしたか?


伊藤:私が把握している現状がデータとしてクリアに出ていましたが、サプライズもありました。その一つが「20代成長環境」スコアの低下です。背景には「20代に対してどう向き合えばいいのか」という企業の迷いがあるのだと思いますね。それが20代の方にも伝わっているのかなと。

「社員クチコミ白書」2024年版より。OpenWorkに投稿される8つの評価項目の10年推移を見てみると、多くの評価項目が上昇もしくは横ばいの中、「20代成長環境」スコアのみ下降傾向にあることがわかる。


大澤:「企業の迷い」とは?


伊藤:ジョブ型に移行しつつある企業は増えていますが、「10年程度はさまざまな経験をした方がいい」と複数部署や職種を経験させてからジョブ型に移行する企業もあれば、それでは若手が転職してしまうと考え、新卒入社後に即ジョブ型を採用する企業もある。

社会全体として、若手の育成に対する向き合い方に関するスタンスがはっきりしないこともあり、困惑している20代は多いのだと思います。

このような状況が「20代成長環境」スコア低下に集約されているのではないか。それが私の仮説です。

伊藤 邦雄(一橋大学 CFO教育研究センター長) 

一橋大学名誉教授、同大学院商学研究科長・ 商学部長、一橋大学副学長を歴任。商学博士。2014年に座長として「伊藤レポート」を公表し、コーポレート・ガバナンス、無形資産およびESGに関する各種の政府委員会やプロジェクトの座長を務める。2020年9月に経済産業省の研究会の成果として「人材版伊藤レポート」を公表した。


大澤:ジョブ型への移行をはじめ、さまざまな企業が変革を進めようとする一方、先生のおっしゃる通り、迷いもあります。大きな質問になってしまいますが、企業はどうやって変革を進めていけばいいのでしょうか。


伊藤:企業には経路依存性(過去の経緯や歴史によって決められた仕組みや出来事にしばられる現象のこと)があるので、一つや二つを変えるだけでは不十分です。竹林の地下茎がさまざまなものと絡み合っているように、一箇所をどうにかしても違う形で別の場所とつながってしまう。

だからこそ、社員のリスキリングやキャリアオーナーシップ、企業文化改革も含めて、それらの経路依存性をワンセットで変える必要があります。最近は人事畑でない人が人事部長を務めるケースも増えていますが、それは非連続の改革をやろうとする意思なのだと思います。

改革は数カ月でできる話ではないですから、トップが「2~3年をかけて変える」という強い意志を表明した上で、社員の皆さんと対話をしながら「どうすれば働きがいやウェルビーイングが高まるのか」を考え、新しい形をデザインしていくことが理想ですね。


「傾聴」に励むよりも、「対話」で腹落ちすることが重要

大澤:OpenWorkのクチコミを見て、頭を抱える経営者の方は少なくありません。「退職者のコメントを見て愕然とした」「社内のエンゲージメント調査の結果とクチコミのギャップが大きい」といった悩みの声をよく耳にします。

大澤 陽樹(オープンワーク株式会社 代表取締役社長)

東京大学大学院卒業後、リンクアンドモチベーション入社。中小ベンチャー企業向けの組織人事コンサルティング事業のマネジャーを経て、企画室室長、新規事業の立ち上げや経営管理、人事を担当。2019年11月にオープンワーク取締役副社長に就任。2020年4月、代表取締役社長に就任。2022年12月 東証グロース市場に上場。


伊藤:とある企業価値を高め続けている企業では、エンゲージメント調査の結果をそのまま受け入れず、同時に行うグループインタビューでヒアリングした内容を重視しているのだそうです。

なぜならば、エンゲージメント調査に必ずしも本音が反映されるわけではないから。個人が特定されるかもしれないといった不安もあり、よそ行きの意見になりやすい面があるわけです。

一方、OpenWorkのクチコミには本音をぶつけられる。だからエンゲージメント調査結果との乖離が生じるのでしょうね。


大澤:悩んでいる経営者に対して、先生だったらどのようなアドバイスをしますか?


伊藤:「対話が足りない、あるいは浅いのではないですか?」ですね。本音で語り合い、深い対話ができていれば、エンゲージメント調査結果とクチコミは近づくはずです。

私は、「対話」こそ日本企業のキーワードだと思っています。一方で、今はまだ取組が始まったばかりであり、対話の必要性を「べき論」として捉えてはいても、「対話とは何か」「なぜ大事なのか」は腹落ちしていないのではと思います。

「さぁ対話をしましょう!」と30分時間を抑えられても、部下は困りますよね。


大澤:だいぶ構えてしまいますね。


伊藤:よく言われる「傾聴」も、聞くのはもちろん大事だけれど、黙って聞いていればいいわけではありません。自分が本音を言わなければ、相手だって本音は言わないですよ。そういう意味でも、対話ができている企業は少ないのだと思います。

特に、最近は上司が構えてしまっていることが多いですよね。「パワハラになるかもしれない」という恐れがあるのだと思いますが、多少なりとも自分の意見やアドバイスを伝えなければ、相手は物足りないですよ。

「また1カ月後にこの上司と対話するの?」と思われてしまっては、返って逆効果になりかねません。実際、対話後に部下のエンゲージメントが落ちるケースもあるそうです。

要するに、多くの人は対話とは無縁の会社人生を送っているわけですね。特に上司の立場にある人たちは、メンバーシップ型の下で叱られたり怒鳴られたりすることに耐えてきた人も少なくありません。会話はできても、対話の重要性は理解しにくいでしょうね。


大澤:「対話」と「会話」の違いは何でしょうか?


伊藤:相手と自分が同じような価値観だという前提で話すのは会話で、相手と自分の価値観は違うかもしれないという前提で話すのが対話です。

お互いにどのような違いがあり、その違いはどこから生まれているのか。そして、その違いをどうしたら埋められるのか。それらを探りながらコミュニケーションをすることを「対話」と私は言っています。

例えば、赤提灯で飲みながら「俺は明日上司にバシッと言ってやるぞ!」と威勢の良いことを言うのは会話です。これが得意な人は多いですよね。


大澤:「Conversation(社交的な会話)」ではなく、「Dialog(意見の交換)」が大切だということですね。


ミドル社員の「悪性安心感」をどう払拭するか

大澤:伊藤先生監修のもと、日本経済新聞社が2023年6月末から7月かけて実施した「日経統合ウェルビーイング調査」 が非常に興味深かったのですが、40〜50代男性リーダー層のウェルビーイング実感が低いことが印象的でした。

先ほどのお話を伺っていると、メンバーシップ型で抑圧され、個が遠くに置かれたままマネジメントをされてきたことが、40〜50代男性リーダー層のウェルビーイングスコアが低い一つの要因なのかもしれませんね。


伊藤:彼らは難しい立場にあります。上からは厳しく言われ、それを下の人には言えず、ともすればハラスメントだと言われてしまいますから。

さらに、最近企業で話題に上がるのは20代の若手のことばかり。40〜50代の人たちには置いて行かれたような気持ちもあるのだと思います。


大澤:企業にとって、特に40〜50代社員との対話、あるいはいかに40〜50代社員がメンバーと対話できるようになるかが鍵となりそうですね。


伊藤:40〜50代はメンバーシップ型かつ長期雇用が前提でしたから、大卒で入社して20年以上経つわけですよね。そうなると、人間には慣れと飽きがくる。これを私は「悪性安心感」と言っています。


大澤:具体的にはどういうことでしょうか?


伊藤:長期雇用によって安心して働ける一方、「土日にビジネススクールへ行かなくても大丈夫だろう」「上司と良い関係を作っておけば評価され、出世コースに乗れる」など、ネガティブな安心感も出てきます。これが悪性安心感です。「このままでやっていけるだろう」と思うと、刺激がなくなります。

本当は、40代後半〜50代でギアチェンジが必要です。その一つがリスキリング。新しいスキルを学べば刺激が得られて充実し、それが部下との対話にも反映されます。自分自身が学んでいるから、部下の成長機会にも意識が向くわけです。

何より、若手との面談時に「最近こういう資格を取ったんだよ」と50代の上司が話せたら、若手が上司に抱く印象はだいぶ変わるじゃないですか。自己研鑽がないまま、なんとなく会社生活を送ってきた人がただ話を聞いてくれるのとは雲泥の差です。

上司自身がギアチェンジしていれば、対話の相手である若い人から刺激を受けたり学んだりすることもたくさんあると思いますよ。


効果的なリスキリングを企業が主導するには

大澤:「社員クチコミ白書」2024年版では、ここ数年のクチコミで増加または新しく登場したキーワードをいくつか紹介しています。「リスキリング」もその一つですが、「会社がリスキリングに力を入れているが、オンライン学習サービスを導入して満足しており、何の役にも立っていない」といったネガティブなコメントが散見されました。


伊藤:あるあるですね。「リスキリングのプログラムを用意しました、どうぞ!」「月1万円を補助します!」など意気込んで始めるものの、それで終わってしまう。


大澤:ミドル社員が刺激を得る上でリスキリングは重要だというお話でしたが、本当に効果があるリスキリングを企業が主導するポイントは何だと思われますか?


伊藤:相手任せにしないことです。単に「リスキリングをしましょう」とインプットさせようとするのではなく、まずは「今後どうなりたいのか」という相手のアウトプットを意識する必要があるのだと思います。

「リスキリングのコンテンツを用意したので勉強してください」と言われても、業務時間外はプライベートを楽しみたいし、そもそも何を勉強すればいいかもわからないじゃないですか。

だからこそ、重要なのはキャリアアドバイスと組み合わせることです。本人のキャリアプランややりたい仕事、理想の姿などを元に、「こんなプログラムが合うんじゃない?」というところまで支援する。

つまりは「リスキリングをした先にはこんな世界が待っている」という未来への希望でモチベーションを上げるわけです。

大澤:コンテンツだけ用意して終わりではなく、「どこに向かって行きたいのか」「そのために何を学べばいいのか」「その結果何を得られるのか」まで対話をしながらサポートする。

それができると、日本の今の課題である「20代成長環境」スコアの改善にもつながりそうですね。


入社と退社、本業と副業。二項対立で切り分ける日本企業

伊藤:「20代成長環境」についてもう一つお話しすると、社員が企業の体質を感じ取るポイントになるのが、副業やアルムナイ、再入社に対する考え方なのだと思います。


大澤:人材を資源と捉えるか、資本と捉えているかの違いが出ますね。


伊藤:「副業はだめだし、退職して戻る道もなさそう。こういう環境で自分は成長できるのだろうか」。自社の体質を最初に感じ取り、そんな疑問を持ち始めるのが入社3年目あたりなのだと思います。

1〜2年目は目の前の仕事に精一杯だけれど、3年目くらいから会社全体がなんとなく見えてくる。そこでアクションを起こすのが「3年退社説」なのでしょうね。


大澤:以前、「新卒3年目までの社員は、入社後に会社へどんなギャップを感じているのか」について、オープンワークで調査したことがあります。年収や働き方に関するギャップが大半だろうと仮説を立てていたのですが、それらは意外と2割未満で、むしろ組織風土や社風、成長環境に関してのギャップが4割を超えていました。


伊藤:メンバーシップ型というのは、言葉を変えると二分法です。日本人は二項対立が好きなんですよ。

例えば、入社と退社は逆であり、「入社した人が退社したら縁は切れる」というのは二項対立です。アルムナイの取り組みをしないのも、「社内と社外は完全に別の世界である」と二項対立で捉えているからでしょう。

公私を混同してはいけないと言うけれど、仕事につながる良い刺激を休日に受けることもありますよね。でも、平日は平日であり、休日は休日と、やはり二項対立になってしまう。実際、平日の職場と休日のゴルフ場で別人のような人は多いです。

本業と副業もそう。副業をしている人の中には、「そんな時間があるなら本業にもっと集中しろ」という上司からの無言の圧力を感じている人もいます。「本業に専念しろ」というのもよく耳にするセリフですが、これもまた二項対立ですね。

これらの二つは、本来は対立するものではなく、行き来するものです。つまりはインクルーシブ(包括的)に捉える必要があるということ。

自社を退職した人だって、他の会社で経験を積んだのちに、また戻ってきてもらえればいいじゃないですか。自社だけでは得られない経験とともに戻ってきてくれたら、こんなにいい話はありません。

多様性もまた、「あなたは日本人」「あなたはアメリカ人」とやっていては項目が増えるだけで二分法の延長に留まります。そういう意味では、ダイバーシティ&インクルージョンは、今までのメンバーシップ型雇用に対する警鐘でもあると思いますね。メンバーシップ型雇用は「メンバー以外はメンバーではない」わけですから。


大澤:メンバーシップという考え方自体がエクスクルーシブ(排他的)なわけですね。

二項対立からインクルーシブにしていくにはどうしたらいいでしょうか?理屈では理解できても、実践は難しいようにも思います。


伊藤:そもそも理屈で理解できていないのではないでしょうか。多くの人は感情が先に来てしまっているのであり、だから話が進まないのだと思います。初対面の人に嫌な感情を抱いたら、それ以上仲良くなろうとしないのと同じことですね。

もちろん感情は大事ですが、それだけでは変革はハレーションばかりになってしまう。強いロジックと温かい合理性が必要なのだと思います。


クチコミは「企業の360度評価」。恐れず向き合い改善へ

大澤:研究者であり経営者でもある先生からご覧になって、OpenWorkのようなクチコミサービスはどのような存在でしょうか。


伊藤:クチコミというのは本音の世界であり、私は「人の目や感情を通した企業の360度評価」だと思っています。個人の360度評価を取り入れる会社は多いけれど、企業の360度評価はないんですよ。

人間も企業も思い込みで動いているからこそ、360度から見た自社を知ることが大切であり、その一つとして、社員や元社員の目を通した評価は重要です。

実際に「経営者は社員のウェルビーイングが高いと思っていたけれど、調査で可視化してみたら思い込みだった」といった話はよく耳にします。可視化する怖さはあるけれど、現実に向き合うのは大切なことですね。

思い込みのままでいた方が経営者は幸せかもしれないし、それによって自信が持てるかもしれない。わざわざ調査して想像とは違う結果に叩きのめされるのはしんどいものです。でも、そこを乗り越えて社員のウェルビーイングを実現できれば、働きがいにもつながっていきます。それが生産性や業績の向上にもつながっていくわけです。


大澤:ウェルビーイングスコアにコミットすることが自社にとってプラスになると理解できれば、勇気を持って調べられる。可視化する重要性も認識できますね。


伊藤:数字で表現できるものは変えられます。良い、悪いで終わらせず、何を矯正し、何を伸ばすかが大切です。OpenWorkでは自社や同業他社のクチコミが可視化されているわけですから、そこからアクションプランが紡ぎ出せますよね。私が社長だったら、

OpenWorkでスコアの高い会社に勉強へ行くか、あるいは人事担当者を勉強に行かせると思います。

そうやって改善の行動につなげていくのが、クチコミデータの効果的な使い道なのではないでしょうか。


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