本社移転で社員の心を掴む!データ分析によるインサイト

 本社移転は、企業にとって重要な経営判断です。なぜなら、本社オフィスは単に業務スペースとしての役割を果たすだけでなく、企業の経営戦略や文化を体現する場でもあるからです。

 その際、従業員のエンゲージメントをいかに高めるかが重要な課題となっています。実際、森ビル株式会社が行った「2023年 東京23区オフィスニーズに関する調査」によれば、従業員300人以上の企業に本社オフィスの存在意義や求められる機能・役割を尋ねたところ、「従業員のエンゲージメント向上」が最も重視されていることが明らかになりました。

 コロナ禍では多くの人が在宅勤務を経験し、その有用性が認識されました。しかし同時に、コミュニケーション不足や孤独感といった課題も浮き彫りになりました。その結果、従業員同士や企業と従業員とのつながりを強化する場として、オフィスの役割が再評価されています。

 さらに、日本では人手不足が深刻化する中、賃金などの労働条件の改善だけでなく、オフィス環境といった労働環境の向上を通じて、人材の採用や定着を図ろうとする動きが活発化しています。

 このように、本社オフィスの移転において、従業員の満足度やエンゲージメントを高めることの重要性が増しています。しかし、本社移転が実際に従業員のエンゲージメントや満足度を向上させるかどうかは、必ずしも明らかではありません。実際、学術的にもこの分野のエビデンスは十分に蓄積されていないのが現状です。

 その主な理由は、データの不足です。従業員の満足度やエンゲージメントは定量化が難しく、これまでの研究ではアンケートやインタビューによる測定が主流でした。そのため、限られた企業や特定の時点での分析にとどまり、幅広い企業を対象とした長期的な変化を分析する包括的な研究は十分に行われていませんでした。さらに、日本においては、本社移転に関するデータの取得も困難であったため、その影響を分析した学術研究はほとんど存在しませんでした。

 そこで、オープンワーク株式会社(※1) と三幸エステート株式会社(※2) 、筑波大学 不動産・空間計量研究室(※3) 、株式会社ニッセイ基礎研究所(※4) は、それぞれの強みを生かし、この課題を解決するために共同研究を行うことにしました。具体的には、本社移転データをオフィス賃貸仲介大手の三幸エステートが、従業員満足度データを社員クチコミサイト大手のオープンワークが提供しました。そして、両社のドメイン知識と、筑波大学およびニッセイ基礎研究所の分析力を組み合わせることで、本社移転が従業員満足度にどのような影響を及ぼすのかを明らかにしました。


(※1)本社:東京都渋谷区、代表取締役社長:大澤 陽樹

(※2)本社:東京都中央区、取締役社長:武井 重夫

(※3)所在地:茨城県つくば市、主宰:堤 盛人

(※4)本社:東京都千代田区、代表取締役社長:手島 恒明


本社移転の動機の分類

 そこで、まず企業が本社移転を行う理由を調べるため、本社移転に関するプレスリリースのテキストデータをもとに、共起ネットワーク分析を行うことで、主要な移転動機を分類しました(図表 1)。


図表 1 本社移転動機の分析の概要

 共起とは、2つの語がテキスト内で同時に出現することを表し、語句間の結びつきの強さを示します。共起ネットワークでは、出現頻度が高い語(ノード)ほど大きな円で描画され、共起関係にある語句間は線(エッジ)で結ばれます。また、ネットワーク内で強く結びついている語のグループはサブグラフとして色分けされています。ただし、サブグラフが分かれていても異なるトピックであるとは限らず、一つのサブグラフ内に複数のトピックが存在することもあります。例えば、プレスリリースに複数の移転動機が記載されることがあり、その結果、一つのサブグラフに複数の動機が含まれるためです。

 分析期間全体の共起ネットワーク図を見ると、9個のサブグラフが生成され。それぞれの内容を検討することで、主要な移転動機を抽出しました(図表 2)。その結果、コスト削減・業務効率化、コミュニケーション促進、在宅勤務など、計9つの移転動機を特定することができました。この図で語句の結びつきなどを見ると、様々なことがわかります。例えば、在宅勤務に関連する単語群には「削減」という言葉が見られ、在宅勤務の導入を目的とした移転が固定費やオフィス床面積の削減と結びつく傾向があると考えられます。さらに、分析期間をコロナ禍前後に分けて共起ネットワーク図を分析すると、合計で11個の移転動機が分類できました。


図表 2 本社移転プレスリリースにおける移転動機の共起ネットワーク


コロナ禍前後で変化した本社移転の動機

 次に、コロナ禍前後での本社移転の変化を明らかにするため、移転動機を集計し比較しました(図表 3)。

 コロナ禍前はコスト削減・業務効率化が53.6%で最も多い移転動機でした。次いで、事業拡大(43.6%)、オフィスの集約(33.7%)が主な移転理由でした。

 しかし、コロナ禍以降は、コスト削減・業務効率化が依然として最も多い動機でありながら、その割合は45.2%に減少しました。一方、在宅勤務を理由とする移転の割合は、コロナ禍前の1.1%から23.7%へと大幅に増加しました。また、働き方改革を理由とする移転も13.8%から27.1%に増加し、生産性向上(11.6%から18.1%)、コミュニケーション促進(12.7%から19.8%)を挙げる企業の割合も増加しました。

 これらの変化は、コロナ禍による在宅勤務の普及が多様で柔軟な働き方を可能にし、既存の働き方改革を加速させたことを示しています。また、在宅勤務の限界が明らかになるにつれ、オフィスを通じて生産性を高め、コミュニケーションを強化することの重要性が再認識されていることもわかります。共起ネットワーク図を再度見ると、在宅勤務に関連する語句が生産性向上やコミュニケーション促進に関する単語と結びついていることがわかります。これは、在宅勤務の短所を解消するために新しい本社オフィスを活用しようとする企業が存在することを示唆しています。


図表 3 コロナ禍前後における本社移転動機の変化



本社移転の動機によって異なる従業員満足度への影響

 次に、本社移転が従業員満足度に与える影響を明らかにするため、移転後の従業員満足度の変化を検証しました。従業員満足度の指標として、国内最大級の社員クチコミサイトであるOpenWorkのデータを用い、社員が評価する企業の総合評価スコアに加え、本社移転と関連が深いと考えられる5つの評価項目――(1)社員の士気、(2)風通しの良さ、(3)社員の相互尊重、(4)20代成長環境、(5)人材の長期育成――を分析対象としました(図表 4)。


図表 4 本社移転の従業員満足度への影響の分析の概要


 まず、本社移転全体の影響を検討した結果、従業員満足度には顕著な変化が見られませんでした(図表 5)。これは、総合評価スコアだけでなく、個別の評価項目においても同様であり、単に本社を移転するだけでは従業員満足度が向上しないことを示唆しています。

 しかし、移転動機ごとの分析を行ったところ、動機によって従業員満足度に与える影響が異なることが明らかになりました。特に、コミュニケーションの改善を目的とした移転では、社員の士気、風通しの良さ、相互尊重、20代成長環境といった評価項目でプラスの影響が確認されました。特に風通しの良さへの影響が大きく、これはコミュニケーションエリアやコラボレーションエリアの設置といった物理的なオフィス環境の改善が直接的に寄与していると考えられます。

 また、生産性向上を目的とした移転でも、風通しの良さや相互尊重、20代成長環境にポジティブな影響が見られました。さらに、働き方改革を目的とした移転では、相互尊重や人材の長期育成に対してプラスの影響が確認されました。

 一方、在宅勤務推進を目的とした移転では、社員の士気に対してマイナスの影響が見られました。このタイプの移転は、オフィススペースの縮小と関連しているケースが多く、対面でのコミュニケーションやコラボレーションの減少が従業員の満足度に悪影響を及ぼしている可能性があります。


図表 5 本社移転の従業員満足度への影響


高まるオフィスの重要性と本研究のインプリケーション

 コロナ禍の前から、本社オフィスの重要性は増していました。その理由の一つは、工業化社会から情報化社会へと移行しているためです。製造業が中心だった時代には、生産活動は主に工場で行われ、オフィスは事務作業を集約する場所として存在していました。つまり、オフィスはコストセンターとして位置付けられていたのです。しかし、IT企業やコンサルティング企業などのサービス業では、オフィス自体が付加価値を生み出す場となっています。企業の価値創造の拠点が工場からオフィスへと移行しつつあるため、最近ではオフィスを「コスト」ではなく「投資」として捉える企業が増えています。

 コロナ禍を経て働く場所が多様化する中で、本社オフィスの役割をどのように再定義し、移転を進めるべきかは、今後ますます重要な経営課題となるでしょう。本社移転そのものが従業員満足度を直接的に向上させるわけではありません。従業員満足度を高めるためには、本社オフィスを通じてコミュニケーションを促進し、生産性を向上させ、多様な働き方を後押しすることが重要です。

 また、分析結果の時系列的な変化を確認すると、生産性向上や働き方改革を目的とした移転の効果は、実現までに時間がかかることが明らかになりました。これらの変革は単なるオフィス移転にとどまらず、全社的な取り組みを伴うため、効果が現れるまでに時間を要します。また、その効果が3年程度で減少することも確認されました。これは、企業の状況やビジネス環境の変化により、再び本社オフィスとのミスマッチが生じる可能性があるためです。

 一方、在宅勤務を推進するための移転によるマイナスの影響は、時間の経過とともに軽減される傾向が見られました。これは、新しい働き方に企業と従業員が順応することで、影響が緩和されていることを示しています。このように、本社オフィスと企業・従業員の関係は時間とともに変化し続けるため、最適なオフィス環境を常に再考し、継続的にアップデートしていく必要があることを示唆しています。


  • 本研究について

本研究は、2024 年 7 月に AsRES(アジア不動産学会)と GCREC(世界華人不動産学会)、AREUEA(全米不動産都市経済学会)が台湾で共催した「The 2024 AsRES-GCREC & AREUEA International Real Estate Joint Conference」で発表されました(※)。

(※)発表論文「Headquarters Relocation and Employee Satisfaction: Evidence from the Crowdsourced Data」の詳細は以下 URL を参照ください。

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  • 研究メンバー

ニッセイ基礎研究所 金融研究部 不動産投資チーム 主任研究員 佐久間誠

筑波大学大学院 システム情報工学研究群 松尾和史

筑波大学 システム情報系 教授 堤盛人

三幸エステート株式会社 市場調査部 チーフアナリスト 今関 豊和

オープンワーク株式会社 代表取締役社長 大澤陽樹


このレポートの著者:
ニッセイ基礎研究所 金融研究部 不動産投資チーム 主任研究員 佐久間誠氏
住友信託銀行(現 三井住友信託銀行)、国際石油開発帝石(現 INPEX)などを経て、2020年5月より現職。専門は不動産市場、金融市場、不動産テック。



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